イリヤの空、UFOの夏

イリヤの空、UFOの夏〈その2〉 (電撃文庫)イリヤの空、UFOの夏〈その3〉 (電撃文庫)イリヤの空、UFOの夏〈その4〉 (電撃文庫)

知り合いに見繕ってもらったライトノベル第1弾。
面白い。この作品の存在を知らなかったことを後悔したほどに面白い。聞くところによると、出版当時は一世を風靡した作品らしいんだけど、全然聞いたことなかった。なので、自分は三年遅れくらいで面白い面白いと騒いでいる訳だ。
ひとことで言えば、エロゲちっくなボーイミーツガールではあるんだけど、作者のオカルト趣味と軍事趣味が良い感じで発露されてて、ひとことでは言い切れない部分もあって、やっぱり本当に面白いものはひとことでは括れないものだ。

以下ネタバレ


ちょっと調べた感じだと、この作品はいわゆるセカイ系に分類されているけど、これをセカイ系というのは、片手落ちというか、木を見て森を見ずというか、ちょっと本質を外しているように思う。
確かに、一面では浅羽とイリヤのボーイミーツガールで、キミとボクのセカイではあるけど、セカイ系で括ってしまうとこの作品のオカルト作品という側面と、大人と子供の差という側面を見落としてしまうのではなかろうか。例えば、オカルトの側面はもうタイトルにも現れている通り、まさにUFOのことで、作中にも色々ロズウェル事件だのブラックマンタだの黒い郵便受けだの、これでもかとキーワードが散りばめられている。が、重要なのはUFOではなくて、実はオカルト側面ではもう一つ、国家の陰謀という王道なオカルトがイリヤの空では組み込まれている。浅羽とイリヤの行動を榎本はずっと監視しているし、TVの情報が文字通り「全く信用ならない」という描写も何度も行われる。さらに、浅羽には虫が埋め込まれ、盗聴、拉致監禁は平気でするし、挙句の果てに軍は記憶の消去まで行えるという描写まである。

すでに血が滲むほどに思い知っている。この男を向こうにまわした以上は、自分の記憶などには毛ほどの信頼も置いてはならないのだ。また自分は何かされたのかもしれない。眠らされて嘘の記憶を植えつけられたのかもしれない。

「浅羽特派員っ!!思い出せん、何も思い出せんのだっ!!」
水前寺は、殿山の爆発事件以降の一切の記憶を失っていた。

まさに、他人が信用できないだけでなく、自分自身すら信用できない、拠りかかるものが何もないという恐怖がある。
それで、その国家の陰謀の中心人物として榎本が居るのだが、この榎本がこれまた魅力的で、浅羽にとって敵対勢力側であるにもかかわらず、重要なイリヤとの接点でもあり、大人と子供という側面にも関連するのだけど、榎本は自分の立場に思い悩む。

「あんなにへこんでる榎本さん初めて見た。今ごろ、またどっか高いとこ登ってカップラーメン食べてるんじゃないですか」
「死ぬほどへこめばいいのよ」
「自業自得よ。元はといえば全部あいつが描いた絵じゃない。へこんでへこんで胃に穴が開いて血ぃ吐いて死ぬまで悩めばいいのよ」

で、国家の陰謀という恐怖の他に、榎本と浅羽を中心とした大人と子供という側面についてだけど、まず浅羽は全編を通して徹底的に何もできない。シェルターの中でイリヤが倒れたときも榎本の助けがなければパニックになってるだけだったろうし、ボウリング場でイリヤが榎本に殴られた時も何もできず、時計塔でイリヤに応急処置をした椎名先生と殴り合いをやらかし、結局殴りあった相手に手当てをしてもらっている。イリヤを連れた逃避行も結局おばあちゃん家に行っただけという有様だ。一方榎本は、正に(権力、というよりもむしろ)powerを持っている。それが端的なのはやはり逃避行の終わりだろう。

「誰が降参なんかするか!!ちょっとだけ休んで、お金を借りて、それから―」
「なんだよお前、だったら何のんびりしてんだ。そういうことはもっと早く言えよな」
「榎本だ。よく聞け、これからパピーがそっちへ行くぞ。目的はアリスの奪還、車両や武器の強奪もあり得る。いいか、全員その場で待機。絶対にパピーに手を出すな。永江はスカンクどもをバンから退去させろ。アリスに対する処置は全て中止だ」
「ほら、早く行け。三十分やる。三十分たったら、今度は本気でお前を追う」

そのほかにも、浅羽の父は実は英語ができて、地元のGIにも顔が広かったり、学校を転々としている吉野も放浪の様々なスキルを身につけている。(個人的に一番効いたのは空母でイリヤと再開したときの、イリヤの髪の色が戻っているという描写で、イリヤを敵対勢力に明け渡すという正に大人な判断が結局はイリヤを一秒でも生きながらえさせる結果となっている)大人と子供のセイカツリョクの差が出ているわけだ。ただ、だからと言って子供が大人を、または息子が父を目指す成長劇というわけでもなく、榎本は、浅羽の何も持ってはいないけれど、溢れるほどの初期衝動に対して憧れを抱いている。

「言葉通りの意味さ。ほら、お前が自分で虫を穿り出したときに捨ててったパンツ。あれを見てな、伊里野が残された時間をお前と二人きりで過ごせて、その挙句に人類が滅亡するんならそれもいいかもと思ったんだよ。――まったくな、おれもまだまだ苦労が足りねえよな。妙な期待かけちまって悪かったと思っているさ」

結局、浅羽はイリヤを思い出にすることで少し大人になり、榎本は浅羽からの銃撃という罰を受けることによって大人な判断という罪を償うという結果になった。これがハッピーかアンハッピーかと言われると、椎名先生からの手紙で、

命を賭して守るだけの価値がこの世界にはあるのだと心底から信じて、故にそれを伊里野に知らせることを恐れず、その罪をすべて我が身に引き受けて地獄に落ちる覚悟を決めていたのは、榎本だけだったように思うのです。
今さら手遅れですが、今なら榎本の気持ちがわかります。
伊里野が好きなあなたが好きな世界の価値が、今になってようやく信じられます。
もちろん、すべては伊里野を最後の決戦に出撃させるためでした。それを否定するつもりは毛頭ありません。しかし、だからといって、ブラックマンタのパイロットとして生きてきた伊里野加奈が最後の最後になってその目で見、その耳で聞き、その肌で感じたものが、それを与えた側の動機の罪深さによってニセモノになるとはどうしても思えないのです。

この榎本への、イリヤへの、浅羽への、世界への肯定が物語っているのではないかと思う。エピローグで、浅羽はもうイリヤとは会えない世界で生活しているけれど、その世界に絶望することは無く、なぜなら、世界にニセモノは存在していないからだ。榎本の気持ちも、イリヤの気持ちも、浅羽の気持ちも、イリヤが守った世界も、確かに存在しているホンモノであり、その自分自身を賭けた判断と行動に対する肯定、つまり、浅羽でなくても、イリヤでなくても、現実に生活している私たちの、実際に発生する判断と行動に対する肯定ではないのか。
だから、この作品のラストは、ハッピーでもアンハッピーでもなく、むしろエンドですらなく、スタートだと思う。確かに存在する気持ちへの敬意と、その先に待ち構える苦難への覚悟、そしてこともなしに動き続ける世界への恐怖、これら全てをひっくるめた、生きてゆくということについての美しさの始まりなんだろう。

あなたは、確かにそこにいたのです。
加奈ちゃんにとっては、それで充分だったのだと信じています。
自分の罪深さと同じくらいに、そのことを信じています。