絶対安全剃刀―高野文子作品集

絶対安全剃刀―高野文子作品集

本を買うとき、主に三省堂書店神田本店でいつも買っているのだけど、オタク性なものなので絶版になった本やほとんど売ってないような本が欲しくなることがよくあって、大概そういう本は三省堂には置いていないのでよくアマゾンを利用している。それで、欲しい本リストを眺めたときに、どっかのWEBサイトで「少女性を理解したいのなら高野文子を読むといいと山口小夜子が言っていた」とかいうフレーズを思い出して、そういえばいつぞやのフジのEZTVという番組で若い女の子にNANAという漫画が流行っているという特集をしていたのを思い出し、その特集の前の日にどっかのBLOGでNANAを読んで女の子を理解したつもりになるのはナントカを読んで女の子を理解したつもりになるより気持ち悪いとかいうエントリーを読んだのを思い出しながら欲しい本リストに絶対安全剃刀を加えたことを思い出して、でもあまりにも知名度の低い本なので当然三省堂にある訳もなく、アマゾンで注文した。

それで絶対安全剃刀を読んで、まず一読してよくわかったのが、漫画の形式を取っているけど、なんというか、漫画ではなくて、むしろ絵本に近いような感じというかなんというか、圧倒的に今現在に流通している漫画とは切り離されたようなところがある。試しに手元にあった曽田正人capetaを読んでみたけど、やっぱりcapetaは一般的な漫画というものと地続きになっていて、絶対安全剃刀の方は断絶されているような気がする。ここで、この切り離され方をどのように例えてみようかと考えて、例えばキリスト教と仏教。全然違う。西洋と東洋。なんか違う。古典物理学と現代物理学。なんか近づいた?男と女。ああ、なるほど!と思った。まさに、この漫画は漫画でありながら、従来の漫画とは男と女ほどに違っているのだと。少女性を描いているのだと。

こうなると、男である自分がこの作品を語る言葉を持っていないことに気がついてああ、なるほどと思ったのだけれど、そういう視点で再読すると、かなり作品が小さく見えてしまって、どうも少女性というものは一つの側面であるだけで、それだけで説明できるようなものではなくて、漫画という枠でもなく、少女性という枠でもなく、もう一種神話のような領域に達してしまっているのかもしれない。神話というのは、例えば神は7日で世界を創ったとかいう物語があって、それに対してフィクションだとかノンフィクションだとか、ストーリー性があるとか無いとか語るのが物語であるにもかかわらずその枠を飛び越えてしまって無意味であるのだけれど、もうそんな感じで漫画であるにもかかわらずその枠を飛び越えてしまっているような意味だということだ。

この漫画は合わない人には徹底的に合わないだろうけど、合ってしまうととてつもなく面白い漫画だと思う。個人的には超オススメ。