文学部唯野教授

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

筒井康隆文学部唯野教授を読んだ。賄賂の対象にされなかった学部長が拗ねたり、仏文科の主任教授がクラブでおさわりをしまくってベロンベロンになった後、奥さんに叱られるとわんわん泣くといった、笑えるような笑えないような大学内部の権力闘争と、唯野教授の文芸批評論という講義が行われている様が描かれていて、なんとも変な感じに面白かった。

なかでも唯野教授の講義で、文学の批評方法の歴史について、印象批評、ニュークリティシズム、ロシア・フォルマリズム現象学、解釈学、受容理論記号論構造主義ポスト構造主義という順で広く浅く紹介されていて、もの凄くためになったので自分なりにまとめてみる。

批評というもので、おそらく最も素朴な形が面白い/面白くないという感想なんだけど、それだけでは議論として全く成り立たない。なので、何がどう面白かったかという理由付けが必要になって、最初にやるのが自分がこれまで触れてきた作品や経験を基にして面白さの説明をするという印象批評だ。この印象批評をやると、批評者の常識や感覚から出てきたものなのでわかりやすいけど、その常識や感覚といったものがあいまいで移り変り、かつ個々人で経験というものは違うものなので、お前は面白いかもしれなかったけど、俺は面白くなかったというような結論になってやっぱり議論にならないのと、唯野教授曰く「芸術の全方位性」というような莫大な経験量で印象批評した方が見事になりがちで、教養第一の貴族的な権威主義になってしまう。印象批評というものの最大の特徴であり欠点であるのが根拠があいまいであるということで、これを解消するために批評理論が発生した。
あと、この印象批評の親戚で規範批評というものがある。この規範批評というものは、自分のなかの理想の何かと目の前の作品を比べ、「盛り上がりに欠ける」「キャラクターが弱い」「心理描写が少ない」というように無限にケチをつけるやりかたで、これは要するに俺が手直しすればもっとよくなると言っているに等しく、そもそも批評でも感想でもなんでもない。

最初は印象批評に対するアンチとしてスクルーティニー派というものが生まれた。スクルーティニー派は、作品の美学的批評に反発して、小説の批評に社会的な問題を持ち込んできて、こっちの作品には人生とは何ぞやということが書かれていて、あっちの作品には人間関係について書かれてるけど、この作品には書かれていないというように分析を行った。しかし、社会的な問題を扱っているうちにいつの間にやら文芸批評が学生運動に変わってしまっていて、さらにスクルーティニー派の批評の目的が、批評によって「生(ライフ)」を見出すというように、小説を人生の教科書のような、宗教のような、よくわからないものを目的にして、結局あいまいで権威主義的な印象批評と同じところに行ってしまった。
ここまでがイギリスの話で、この印象批評に対するアンチとしてのニュークリティシズムというものはアメリカにも伝わっていて、こっちでは科学的に数値で計ることのできる行動心理学のモデルを批評に持ち込んだ。しかし、このやり方は詩を分析するのに一番都合が良かったため、詩ばっかりを分析して、挙句の果てに詩をご神体にしてしまった。また、短い詩だけを決まりきったやり方で分するのは、毎回同じ答えが出るだけの判断停止で、科学的合理主義のパロディになってしまった。

1930年代に盛んだったアメリカのニュークリティシズムから少しさかのぼって、1910〜1920年代にロシアで盛んだったのがロシア・フォルマリズムだ。
このロシア・フォルマリズムは文学の内容を批評し始めると歴史だの心理学だのの方向へ行かざるを得ないため、まず文学は形式だ、技法だという方向で批評し始めた。この技法の中に「異化」というものがあって、これは普段つかっている言葉を「自動化された」言葉として、それとは違ういわゆるブンガク的な、変わった文章のことを「異化」された言葉とした。「異化」されると、内容は日常的なものでも、読者は途端に突然見慣れない、安心できない言葉として受け取ってしまうという効果がある。また、小説を読んでいるときのハラハラドキドキ感も、「妨害」や「遅延」といった技法からもたらされるもので、作家が一体何を言おうとしているかは問題ではないとした。しかし、小説はそんなブンガク的な言葉ばっかりで成り立っているわけでもなく、そんな変わった言葉使いをされているのは主に詩だったので、ロシア・フォルマリズムは主に詩を対象として批評を行い、これがニュークリティシズムへ影響を与えていった。それに、内容は全く問題ではないということは、作者という要素が完全に抜け落ちているということで、それはそれでやっぱり問題だっただろう。

現象学的文芸批評は、フッサールが確立した現象学を批評に持ち込んだものだ。
一般には哲学というと、学問という意味ではなくて、世界観や人生観、ものごとの見方や考え方を指すけど、フッサールは哲学はそのようなものではなく、実証できるものしか信用せず、実証できたもののみを使って論理を組み立てていくべきで、そのようなやり方で自然科学よりももっと根源的で普遍的な、意識の問題を考えるべきだと言った。
一般的に意識というものは実在していると考えられていて、それはデカルトの「我思う、ゆえに我あり」ということばだけど、フッサールは我思うを出発点とした心理主義は厳密な学問にはならないとして批判した。目に見えるもの、耳に聞こえるものというのは先入観であり、その先入観を排除べきだとした。そうするとたとえば記憶の中に現れたものも、目の前に現れたものも、同じものであり、その全てが主観ともいえるような世界のことを純粋意識として、これこそが意識の問題であるとした。さらに、この純粋意識から得られた中からさらに絶対普遍なものを発見して、それがものごとの本質であるイデア、エイドス(形相)であると言った。
こういうひたすらに普遍的な本質というものにこだわった現象学の考え方で批評すると、作品が書かれた歴史、作者、読者といった作品の外にあるものを全て判断中止、つまりは完全無視して、書かれていることだけを、ただ正確にゆがめることのないよう記述するというものになって、観念的で反歴史的で形式的でおよそ批評理論の悪いところが全部集まってる批評方法にも関わらず、少なくとも小説家にとっては意外と素晴らしい成果があった。

フッサールは主観なんてものは無い、判断中止により全ては純粋な現象へ還元され、そこから得たものが純粋意識だ、先見的主観で、その先験的主観の中で超越的な本質が構成されるということを主張したけど、弟子のハイデガーはそんなことはない、先験的主観の中で構成されるということは、その構成を行うのは人間であって、人間も存在しているのにも関わらず現象への還元に人間を含めないのはおかしいんじゃないかというようなことを言った。
そこから、ハイデガーはその他の存在と人間的現存在のありかたが全く異なっているということに気付いた。そして、ハイデガーは存在というものを分析し始めて、まず世間一般のいわゆるそこそこ幸せに生きているような人を、自分のものであるはずの存在を自分のものにしていないという意味で「非本来性」といった。その逆で、苦しみや悲しみをまともに見て、快楽に逃げ込まないで本来の自分として在るというようなえらい人のことを「本来性」といった。こうして常に新しい自分へと脱皮していること、自分の「存在」を引き受けて「存在」し続けていくという存在の仕方を「実存」であると定義した。
ハイデガーは世界についても考え、世界は道具的なモノとモノ的なモノの二種類の意味があると考えた。道具的なモノとは、例えばハンマーをぶん殴るのに使った場合は道具的なモノになる。でも、ハンマーを見たりしてハンマーは鉄でできてるんだなあとか思ったりするだけだとモノ的なモノになる。そして、人が本来的なあり方で自分は道具的なモノでもなく、モノ的なモノでもなく、そういうものを理解したり照らし出したり、自分も照らし出したりできる、この世に存在していると了解、解釈している場面を「語り」として、「語り」の場面で初めて人は言語が可能であるとした。
この「語り」には、語る存在として自分を示す以外にも、世界に耳を傾けるということでもあって、ハイデガーは人間の存在とは世界との対話であると考え、これが晩年の自然崇拝にもつながっていった。
ハイデガーはこのように存在を分析して、そのうち人間の存在することを可能にしているものが時間性であると考え始めた。人間が本来的に存在するためには、死の可能性がある未来を見ると同時に、過去を見て非力さを知り、現在をみて自分を解放するということが必要であり、これが人間存在の意味であるとした。そして、人間は時間性によって実存しているのだから、過去や未来といった歴史的なものが本質的にくっついているとして、我々の本来的歴史性を「宿命」とした。さらに、共同体や民族などに共通した「宿命」が「運命」だといった。このような自然に耳を傾け、先駆的了解によって死と相対し、理性を否定して「宿命」を甘受し、共同体と「運命」を共にするというハイデガーの考え方はファシズムと共通点が多く、事実ハイデガーヒトラーを支持していた。また、ハイデガーは言語とはコミュニケーションの手段でもないし、意味を表現する手段でもなく、世界を生み出し、人間を生み出したのが言語であり、言語があって初めて人は人になれるという、人以前に言語が存在するという後の構造主義につながる言語観を持っていた。
このようなハイデガーの哲学はフッサールの「超越論的現象学」と区別して「解釈学的現象学」と呼ばれ、この解釈学的現象学を文芸批評に持ち込むと、ハイデガーが世界に耳を傾けたように、過去の文学作品の前に跪くことになった。
ドイツの哲学者ハンス=ゲオルグ・ガダマーは、文学作品というものは作者が意図した以上のものが存在していて、その作者のいた時代や文化が、現在の時代や文化へやってくる時に意図されなかった新しい意味が生まれるはずだ、この不安定性こそが文学作品の特質であると言った。また、作品の了解とは、意味をずらすことだ、現代でしかできない意味で作品を了解する、つまり新しい現代的な意味をひっさげて故郷に戻るようなものだとも言った。しかし、ハイデガーの思想では具体的な歴史については何も言わず、時間とはあくまでも個人史的な歴史であり、権力の側から押し付けられた伝統や、闇の世界の伝統といったものを見落としており、また文芸批評の方でも歴史というものは全く矛盾のない、尊重すべきもので、過去の作品は我々がくつろげる場であるという前提があり、あまりにも伝統を重視して、現代の革新的な、例えば高橋源一郎のような作品は解釈できないという権威主義的なものがあるという批判がされた。

ここまでで、批評は主に作品と作者を対象にしてきて、読者が存在しなかったけど、その存在しなかった読者にスポットライトを当てたのが受容理論だ。
ノースロップ・フライという人が「文学作品はピクニックみたいなものです。作者は言葉を、読者は意味を持ち寄る」ということを言ったけど、具体的に読者とは何ぞやという問題があって、いろいろな読者像が考えられた。
まず、理想的な読者というものが考えられ、理想的な読者であれば、作品にある意味をすべて読み取ることができるとされ、その役割は批評家が担っていると考えられた。難解な作品があると、人はすぐこの作品の意味はなんだと意味を求めるけれど、その橋渡しで批評家が登場する。しかし、批評家が意味を取り出したところで、文学作品は意味だけを独立して取り出せるものではないという意見もあるし、そもそも文学作品は意味さえ分かればそれで読んだことになるという大量消費の対象にあるものでもないという意見もある。さらに、「パラダイム」とか「コンテクスト」とか「アポカリプス」とか「脱構築(ディコンストラクション)」とかそもそも批評家の言ってる意味が分からないという問題もあった。
そこで、ヴォルフガング・イーザーという人が「内包された読者」というモデルを考え出した。この内包された読者というものは年齢や知識、経験、実在するかどうかなどは全く考えない、作品によって反応し、理解するという読者モデルで、これ以降の受容理論でいうところの読者は内包された読者ということになった。
ローマン・インガルデンという人は、作品には5W1H、人物、情景など全て書かれているわけでもなく、書かれていない、不確定な箇所があると言った。そして、読み進めることによってその不確定な箇所を想像したり、実際に文で読んだりして作品に肉付けを行うから美的価値が生まれるとし、その肉付けの方法にも正しいものと間違ったものがあると言った。しかし、ヴォルフガング・イーザーはその肉付けの正しい、正しくないは一体どうやって判断するのか、そもそも現代文学だとそんな肉付けできない作品もいっぱいあるというように指摘した。また、仮に不確定な箇所を正しく埋めていくだけであれば、それは単純労働ではないのかという批判もあった。
イーザーも文学作品は図式の集合であって、隙間だらけだというように言ったけど、その隙間を不確定な箇所とは呼ばずに、「空所」と呼んだ。空所は読者が想像力を働かせるべき場所で、その想像力を働かせて断片を繋げ、繋げて新たに発生した空所をまた想像するというプロセスを経て、文学作品から意味を汲み取り、世界を構築するというように考えた。そして、文学作品には社会的な規範や常識を持ち込んでも、その規範や常識を否定する「否定作用」というものがあって、空所を想像して美的価値を生み、否定作用によって現実の規範や常識の欠陥を明らかにすることこそが文学作品の作用であると考えた。しかし、この考え方は要するに文学作品を読んであらゆる思想をひっくり返せと言っているに等しく、時代の規範や常識を代弁する文学にも価値あるものはたくさんある。さらに、イーザーは強烈で確固たる信念を持った読者はあまり理想的ではないとし、年を取った大人よりも確固たる信念がない子供の方が読者として都合が良いということになる。
イーザーと同じ学派で、ロベルト・ヤウスという人がいて、この人は作品が過去の時代時代でどのように受け止められたか、読者中心の受容史を作ろうとした。これは後にサルトルが「文学とは何か」という本で同じことを徹底的に行って、結局作品を理解するには最低限の前提となる常識というものが必要で、その常識があって初めて文学作品との対話が可能となるのだけど、それはどんどん閉鎖的になっていってしまうものなので、サルトルは最後には「自分は誰のために書いているのか」というジレンマに落ち込んでしまった。
この問題がアメリカのスタンリー・フィッシュという人にかかると、文学作品に意味など込められていない、意味だと思われていたものは読者の解釈したものであって、作品の中には何も存在していないという主張になった。ならば、その空っぽの文学作品とは何ぞやということになると、スタンリー・フィッシュはそんなん知らん、誰にも分からんということになった。
これがロラン・バルトになると、難解な現代文学作品ばっかりを扱って、その不明瞭さ、意味の横滑り、思想の転覆などで絡みきった言葉の網に自分が絡め取られて粉々に砕け散るのを気持ちいいわとのたうちまわって身悶えしろというなんともフランスっぽい主張をした。
結局、読者の解釈というものは無制限な理論の上ではただの妄想になってしまうので、現実的には時代時代の規範や常識にある程度制限される。そこで、この社会的現実をどうとらえるかという問題が浮かび上がってきた。

構造主義ソシュール記号論を文芸批評に応用している。ソシュールは、言語は記号のシステムであると考えた。「猫」という言葉があって、この記号が指し示す実際の「猫」があり、言葉とはこの二つが結びついているもので、言葉の猫をシニフィアン、実際の猫をシニフィエと呼んだ。ソシュールは、このシニフィアンシニフィエの結びつきは恣意的であると考えた。それはどういうことかというと、猫ということばはキャットでもシャでもガットオでも良く、ただたまたま猫という言葉だったということだ。そして、シニフィアン、言葉の方は発声方法はそれほど問題でもなく、むしろ他の言語と混同されないことの方が重要で、シニフェエ、実際の猫の方もシャムだか三毛だかペルシャだかはあまり問題ではなく、むしろ犬とか馬とか羊とかと混同されないことの方がだった。つまり、この差異が重要で、差異があるからこそ記号をシステムとして扱えるというように考えた。
ソシュールは記号のシステムを構成するにあたってあまり必要のない発音や歴史的な言葉の移り変わり、さらには実際の猫などを切り落として、孤立したシステムとして研究を行い、この孤立したシステムの構造の中に秘められた普遍的な規則を取り出そうとした。これは神話、中華料理、会社組織、礼儀作法、なんでも記号の体系として言語と同じように規則を取り出せるので、色々な方面の人たちに影響を与えた。

まずノースロップ・フライ神父という人が、当時行われていた批評に対して批判した。批評の根拠を文学の外から、宗教やら哲学やら心理学やらマルクス主義やら持ってきて、そのようなフィルターでもって作品の良し悪しを決めるのは簡単だけど、それは文学を文学以外の枠で簡単に決め付けてしまうものだとした。また、印象批評的な批評も、科学的ではなくて思いつきを拾い集めただけだ、結局多くの批評は、架空の株式取引所で作家の株価を上げ下げしてるだけのおしゃべりだと切り捨てた。
そしてフライ神父は「批評の解剖」の中で、主人公のパターンを5つ、象徴のパターンを3つ、ストーリーのパターン4つというように分類して、神父だけにすべての物語はパターンの組み合わせである、そしてすべての起源は神話にあり、文学の向かう先も神であり、天国であるというように、これまでの批評史のセオリー通りに神をご神体にした。これが古典的な構造主義で、後にレヴィ・ストロース記号論で構造分析を行った。
レヴィ・ストロースは色々な神話を「神話素」と呼ばれる単語のような要素に分割した。そして、言語と同じように神話素を組み合わせる文法のような規則があって、その規則によって意味ができたり、人が心を動かされたりするというように考えた。この神話の研究を物語へ一般化したものを「物語学(ナラトロジー)」といい、色々な人が作品を単語と文法に見立てて分析を行った。こうなってくると、小説を読んだ時の感動や興奮が素晴らしいといったロマンが成立しなくなり、どれもこれも深層では同じものであるから小説なんてそんな大して偉いものでもないということになり、深層では同じものなので作家の個性も無視されてしまうようになった。しかし、元々の記号論ではシステムの構造を研究するために様々な要素を切り落としていたため、文芸評論でも作品と現実や歴史との関係が切り落とされてしまい、さらにそもそものソシュール記号論ミハイル・バフチンによって言語とは対話であり、ほかのひとに何か伝えようとするものとして初めて把握できるのだ、言語つまり記号は、常に社会の中で使われている人たちによって修正、変更を行われているのだという批判がされた。結局、これまで批評の中心にいた神が科学にすげ替わっただけで、構造主義ポスト構造主義へと移り変わっていった。

ソシュールは猫という言葉が猫という動物を指すと言ったけれど、ポスト構造主義はこれを否定した。辞書を引けばわかるけど、猫といっても動物の猫や三味線、芸妓、レズビアンの片方と色々な意味がある。分からない言葉を辞書で引いて、その説明も分からなかったからさらに引いて、その説明も。。と繰り返すと最初の言葉に戻るというパロディもあるほどだ。こういうことから、言葉とは他の言葉と繋がっていて、そこから初めて意味を生み出すということになり、この言葉の網の目を「テクスト」といって、言葉とは決して単体で意味を生み出すものではないとう考え方があった。
これはフェミニズム批評として、男の男らしさを表現するには必ず女が必要で、男単体では成り立たないという考え方にも繋がっていく。
ジャック・デリダはこのような考え方で、今までは究極の言葉として神、イデア、自我、科学、自由、民主主義、家族なんかが入れ替わり立ち替わり現れてきたけど、このような階層的な意味構造を作り出すイデオロギー形而上学だとして批判した。そして、そのような特権的な言葉が実は他の言葉によりかかっているという姿をまざまざと示すことで徹底的に攻撃し、これが脱構築と呼ばれた。しかし、ポスト構造主義的な批評は階層的な意味構造、つまりは形而上学を否定し、二項対立を解消するという目的があるために、批評と創作の区別もなく、わかりやすく書けないため、ものすごく難解である。
そして、ポスト構造主義的な考え方は、理論を展開したり完結したりすることへの否定や、ストーリーをバラバラに切り刻んでいったり、クライマックスがあったり、善玉や悪玉が登場するような小説への否定へと繋がっていった。
ロラン・バルトは「テクストの快楽」の中で、イデオロギーを否定し、論理の組み立ても解体したり攻撃した。また、ストーリーも無いし、クライマックスも無いし、テーマも無いような眠たくなるような現代小説の読み方として、社会的に通用している意味の定まったお行儀の良い言葉と、相対的で、見方によってすぐ意味を変えてしまうような言葉、この二重性こそ評価すべき部分とし、そもそも現代小説の面白さは話の流れから生まれるものではない、現代小説は早読みしない、飛ばさない、丹念に摘み取るというように、時間をもてあました中世貴族のような、現代社会では一般的にはあり得ないような読書態度が必要だとした。
ポスト構造主義は、マルクス主義の崩壊と共に発生しているので、資本主義構造を破壊できなかったマルクス主義とはなんだったのか、そもそもイデオロギーに意味なんてあるのかという当時の社会状況と密接に関連していて、なのでどんな主義主張でも、深刻な問題でもラジカルに茶化せるし、守るべき主義も何もないので誰も傷つかないし、不死身の立場にある思想なので、相当皮肉な考え方であることには違いないだろう。