GUNSLINGER GIRL

GUNSLINGER GIRL 7

GUNSLINGER GIRL 7

自分は和月伸宏武装錬金が大好きで、その中でも自分の理想と現実、過去の栄光と未来への不安の狭間で葛藤してなお受け入れられないかもしれない理想の少年漫画を描き続ける作者の姿にシビレていた。武装錬金自体も面白かったけど、(不謹慎かもしれない)あの作者の生き様は虚構を超えた瞬間があったように思う。

その和月の勇姿が相田裕と重なるんじゃないかという瞬間があった。

元々、GUNSLINGER GIRL相田裕が女の子を描きたくてしょうがないようなところがあって、しかもその描きたい女の子は普通なら純情可憐なロリというように少女性へと向かうものが、何を思ったかキリングマシーンに対するピグマリオニズム(人形愛)へ向かっていった。1,2,3巻が手元に無いのでうろ覚えだけど、そもそも少女達を「義体」と呼ぶのもそうだし、度々描写されるどんな命令でも従うシーン、また「条件付け」と呼ばれる明らかに属性のカスタマイズを行っているシーン群、さらに圧倒的な戦闘力という男性的価値観による高機能さ、不死性、これらは決定的に鑑賞し得る人形たる要素だし、もしもこれをロリと言おうものならルイス・キャロルウラジミール・ナボコフなんかは激怒するか呆れ返るんじゃないだろうか。
それで、その少女達の周辺を構成する社会も、「公社」と呼ばれる諜報機関で、その諜報機関がやっているテロ組織との抗争も、果たして意味があるのか無いのかよく分からない状態で、「人を模している」人形が持つ模造性、不毛性なんかとリンクしたりして、かなりよくできている。絵柄も動きを抑えてオッサンは結構凝るくせに少女は幻想的な感じで、倒錯したイメージの元、かなりのレベルで全体が統一された漫画だという印象だった。
しかし、5巻あたりからちょっとづつ絵柄が変わりはじめ、最初は絵師としてもう一つ上の段階を目指して太い線で女の子を描くつもりなんだろうかと思っていたら、6巻でペトルーシュカが登場したあたりから作品自体の様相が一変した。ペトルーシュカは長身、高齢で(といっても16歳だけど。外人なので見た目では18〜20歳くらい。)作中では担当官と任務としてイチャイチャするような描写もあって、しかもペトルーシュカもそれを任務として割り切れる分別を持っている。印象的なのは7巻のラストで、以前なら死ぬことになったキャリア女性が今度は生き残っているし、明らかに昔と比べて作者の女性観が変化していて、過去の女性観と決別しようとする意志が見て取れる。
長年人形的な少女を描き続けて、もう飽きてしまったからこういう肉感的な女性を描きたくなったのか、それとも作画的なチャレンジとして年上の女性を描いたらそのイメージに引きずられてシナリオまで変わってしまったのか、それは誰にも分からないけど、個人的にはもっと実際的な理由としてリアルで彼女できたんちゃうん〜?げっへっへという下衆の勘繰りをしてしまう。
この変化がどのように作品に影響を与えるかというのは、ちょっと予測が不可能で、そもそも相田裕ピグマリオニズムとニンフェットを意識的にか無意識的にかは分からないけどかなり致命的に混同しているフシがあって(http://d.hatena.ne.jp/kojiy/20060728)、その混同からくる歪みが妙な魅力を生み出していたけれど、その歪みをスタートとしてアンチテーゼを掲げても、そもそもの出だしがひどくプライベートなものなのでその先にあるものなんてのは本人にしか分からない。
そういう、何かもの凄くプライベートな理想に向かって決して最適とはいえないフィールドで作品を発表し続けるという姿勢が和月伸宏とダブってしまう。こういう、作家自体が目に見えない何かと必死に戦う姿というものは、不謹慎だけどかなり心躍らされる。